会社に依存しない仕事人生を生きる<前編>
予想外の異動からのマインドチェンジ
大手食品メーカーの物流部門のマネージャーである長田 綾子さん。新入社員の頃から事業部で初の女性営業職に抜擢され、海外赴任も経験されています。しかしその華々しい活躍の裏側には、予期せぬキャリアチェンジや大きな挫折もあったそう。
「会社を辞めようと思ったこともある」と言う長田さんが、40代後半の今振り返る「会社に振り回されないキャリアの作り方」とは?
長田 綾子(ながた あやこ)さん
出身:福岡県
エニアグラムタイプ:5 研究者(人と距離をとり静かに観察する人)
職業:会社員(食品メーカーのマネージャー職)
長田さんと私は大学の同級生。ハンドボール部で4年間一緒にコートを駆け回った、青春時代のチームメイトです。
今のお仕事を教えてください。
食品メーカーで物流企画のマネージャーをしています。物流会社や運送会社との折衝や価格交渉をしたり、自社商品の物流基盤を作る、社内では目立たないけれど縁の下の力持ち的な部署です。個人的には管理職として、メンバーマネジメントや経理業務など幅広く対応していて、事務仕事も多い「何でも屋さん」ですね。
出張も多いです。工場で作った商品を卸店に届けるまでの工程管理では、物流会社との交渉のために現場に入り込む必要があり、北海道から沖縄まで日本中を巡ります。
私は新卒入社ですが、いくつか部署を異動して、物流関連の仕事は10年目です。
新卒入社からずっと今の会社で働いているのですね。
はい、2000年入社なので今年で25年目です。
社歴は長いですが、最初の8年間は健康関連の事業、次の7年間は海外事業、今の物流事業は約10年。それぞれまったく違う3種類の仕事を経験してきました。
だから気持ち的には「転職3回目」って感じです。
これまでのキャリアを振り返る
長田さんにこれまでの歩みをお話しいただくにあたり、その時々の感情の動きを表す「ライフラインチャート」をご用意いただきました。横軸が年齢、縦軸がモチベーションや満足度、幸福度です。長田さんのキャリアのターニングポイントはいつだったのでしょうか?
20代はどんな仕事をしていたのですか?
新卒入社後、最初の4年間は大阪の健康事業部でスポーツルートのセールスを担当しました。
当時、東京以外の地方勤務の女性営業職、そして健康事業の女性営業職はおらず、私が第一号でした。初めてづくしで大変なことも多かったけれど、比較対象がいなかったので成功も失敗もしやすかったという点では恵まれていたと思います。担当していた健康事業も社内では成長フェーズにあったので、決まり切ったやり方はなく、いろいろ自由にやらせてもらえておもしろかったですね。
5年目に同じ事業部内で内勤の営業企画の担当になり、そこで4年間働きました。入社してからの8年間は仕事が楽しかったです。人間関係さえうまくいけば会社っておもしろいなあと。20代で若かったので体力的にもキツさは感じませんでした。
そして30代で大きな社内異動があったのですね。
32歳で海外事業部に社内異動しました。私のキャリアの最初のターニングポイントです。
当時はビジネス英語のスキルや貿易の知識を持っておらず、かなり苦労しました。
それから、この部署の雰囲気が前にいた部署と全く違っていたんです。「残業するのはあなたの能力が足りないんでしょ。限られた時間で任された仕事をしないとダメだ」と。今でこそ当たり前の価値観になりつつありますが、15年以上前の私にとっては衝撃でした。
他にも国内営業とは異なる仕事のやり方を叩き込まれました。たとえば、海外とのやり取りは契約文化。言った言わないでもめないように、きちんと履歴を残す、とか。それまでの働き方からまるっと変わったので、順応するまでに時間がかかりました。異動後にグラフが少し下がったのはそのためです。
ただ個人的には海外旅行も好きですし、海外の仕事にも興味があったので、つらくはありませんでした。
その後 女性初、海外転勤でシンガポールに赴任。すごいですね!
「女性初の〇〇」は、新卒の営業時代からそういう役割を与えられることが多かったので、自分的には「またか」くらいの感じです(笑)
「女性の活躍事例を作りたい」という会社の思惑もわかっていましたし、周りからのやっかみのような視線を感じることもありました。そんな中での初めての海外生活は不安や戸惑いもあったけれど、やるしかないなと腹をくくってシンガポールに行きました。
ただですね…、3年間くらい駐在するのかと思っていたのですが、会社都合でたった1年で帰国することになってしまいました。担当役員の交代により事業方針が変わってしまったんです。会社員あるあるですよね。
でもまさか1年で海外赴任が終わると思っていなくて、正直、不完全燃焼でした。初めての環境で1年間働いて、ようやく基盤が整い、よしここからだ!と思っていたので、「え、もう終わり?!」って。
会社都合に振り回されたなあという思いがあり、そのときに「会社に人生を振り回されないようにしないといけない」と意識するようになりました。自分で自分の仕事をコントロールしたいというか。このときの気持ちは正直うまく言葉にできないのですが・・・
同じタイミングで同じチャンスは二度と来ないから、「この仕事をしたい」と思ったらちゃんとその場でチャンスを掴まないといけない。強くそう思いましたね。
「もっと最前線に立って周りを巻き込んでやれ」と、当時の上司によく言われていたんです。でも私、自分から動くのが得意じゃなくて。どちらかというと周りに巻き込まれがちなんです。だからこそ、自分がやりたいことをやるためには、私は戦略的に動かないといけないタイプなんだよな、と海外赴任が短期間で終わってしまったときに気づきました。
先頭に立つと、やりたくないこともやらないといけないから面倒なことも多いじゃないですか。でもそうしないと、チャンスは掴めないんですよね。
40歳目前でグラフが大きく落ち込んでいますが、何があったのですか?
シンガポールから帰国後、海外事業部の管理部門に配属されました。上司の航空券を手配したりスケジュール管理をしたり、まるで秘書(苦笑)「なんでこんな仕事してるんだろう」と思ってました。
40歳までにもう一度自分の仕事でバリバリ働きたかった。体力的にもここがピークだろうとお思っていたので、上司のサポートのような仕事では物足りず、つまらなかったんです。正直、「仕事、やだな・・・」って。
私がいた海外事業部は社内でも異動希望者が多い人気部署でしたが、私は「もっと仕事をさせてほしい」と異動願いを出しました。ところが、まったく望んでいない部署にいくことになったんです…!「もう会社辞めてやろうかな」と思いました。それが39歳の頃。グラフが一番落ち込んでいる時です。
ちなみにその部署が、今いる物流部門なんですけどね。
えっ、会社を辞めたいほど嫌だった部署が今の職場なんですか!?
メーカーはマーケティングや営業、研究部門が花形。物流なんて誰でもできるでしょって思われがちで、社内の立場は弱いんです。社員も変わり者が多いし(笑)、自分の中ではあまり良いイメージがない部署でした。
異動後、最初の仕事はルーティーン業務。まったく仕事におもしろみを感じられませんでした。「なんでこんなところにいなきゃいけないんだろう」って、落ち込みましたね。
実は…、そのとき転職活動をしたんです。内定ももらいました。
でも、転職活動をする中で、「私は今が売り時じゃないな」と気づいたんです。当時の私はまだ管理職ではなかったので、40代のプレーヤーとして自分を売り込んでも給与水準が上がらないし、そんなに良いポジションも見つからなかった。それなら今の会社で管理職としての経験を積んでから転職したほうが、自分を高く売れるな、と思いました。
もう少しここで踏ん張るほうが自分にとっていいはずだ。そう考えを変えてから、目の前の仕事も割り切ってやれるようになりました。
ただ、それだけだとやっぱりつまらない。だから自分の価値を高めるために、積極的に社外ネットワークを増やすことを始めました。それで気持ちのバランスを取っていた感じです。
異動して3年後、管理職に昇進して、改めて自分の仕事の重要性を実感できるようになりました。メーカーでモノを作って運ぶ仕事はなくならないから、私がやっている物流企画の仕事は会社が利益を生むために必要だ、と。
自分の仕事に意味や価値はあるな、と思えるようになってからは楽しく働けるようになりました。
ターニングポイント
40歳直前での希望せぬ異動により、大きな失望感を味わった長田さん。それでも会社に依存せずに自分の価値を高めたり、自分の気持ちをうまくコントロールしたりしながら、キャリアアップしてきました。キャリアのターニングポイントはいつだったのでしょうか?
今の自分を作った一番のポイントはどこでしたか?
私の仕事のやり方やマインドが形作られた一番のターニングポイントは、やはり海外事業部の頃です。
たとえば、言った言わないという嫌な揉め事ってけっこうありますよね。だから電話だけでなく必ずメールも送るとか。そういうトラブルが極力発生しないようにする仕事のやり方は、契約文化が当たり前な海外事業で身につけたことです。
また子会社の数値管理の仕事では、俯瞰して物事を見る訓練もさせてもらいました。いろんなことを吸収できる30代に、多岐にわたる仕事を任せてもらえたのは良かったなと思っています。
先ほどおっしゃっていた40代目前での転職活動のことを教えてください。
39歳で海外事業部から物流部門に異動したとき、どうしても仕事にやりがいを感じられませんでした。ここにずっといるのは嫌だと思って、これまでの経験を活かせる会社がないかなと転職活動を始めたんです。
内定ももらったんですが、給与が下がったり、地方勤務だったりと、自分の希望が100%叶う条件ではありませんでした。
そんな中、いろんな人に相談して見えてきたのが、女性管理職の希少性です。私たちの年代の女性管理職って、どの会社も必要としているんですよね。
であれば、今の会社で数年がんばって昇進するのと、転職先で実績ゼロの状態から昇進を目指すのとではどちらが得か。私は、今の会社で管理職になって給与も上げつつ、外に出たときに自分を高値で売れる状態にしておこうと考えました。今は転職のタイミングじゃない、とスパッと気持ちを切り替えてからは楽になりましたね。
会社しかない人生にならないように、週5日の仕事を週4日で巻きで終わらせ、余った時間を社外活動や人脈づくりに当てるなど、自分の世界を広げていきました。そういう意味ではこの39歳の時期もキャリアのターニングポイントだったなと思います。
会社に依存しないマインドづくり
「女性初の〇〇」や海外赴任などの華々しいキャリアを聞いていると「違う世界の人」と感じてしまうかもしれません。そんな長田さんでもしくじり経験はあるのでしょうか?
いかにも仕事ができそうな長田さんですが、しくじりエピソードはありますか?
昨夏、当社の流通網の要である倉庫を移管する大仕事をしたのですが、想定外のトラブル続きでまったくうまく進まず・・・。商品の出荷が止まって社内中がパニックになってしまいました。
物流の現場はアナログとデジタルが複合的に入り混じっていて、ひとつ問題が起きると玉突き事故のようにトラブルが連鎖するんです。解決に莫大な時間がかかるんですよね。
トラブル処理のために、もう住んでるのかと思うくらい倉庫に入り浸りの日々でした。倉庫の景色以外の夏の思い出がまったくありません(笑)
それは大変でしたね。自分のせいじゃなくても失敗すると凹みますよね…
失敗しない人はいない!良い時もあれば悪い時もあります。
この経験を糧にしよう、プラスにとらえよう、と思いながら粛々と作業してました。まあ、仕事で失敗しても命までは取られませんし(笑)
あとその時に思ったことが、どんなに心が折れても、本当の意味では会社は助けてくれないということです。もちろんヘルプを出せばサポートしてくれますよ。でもメンタル的に立ち上がれなくなるほどしんどくなってしまったら、会社は「あいつはダメだったな」と代わりの人を見つけてきて終わり。
それは嫌だから、そうなる前に自分でうまくコントロールしていこうって思っています。根を詰めすぎずに適度にサボったりとかね。
環境や年齢のせいで自分のキャリアを諦めている人に、何と声をかけますか?
・・・会社辞めたら?(笑)まあそれは極端かもしれないけど。
今の時代、35歳を過ぎて転職することも当たり前になっているし、昔よりチャレンジしやすくなっていますよね。副業ができるならそこから始めても良いと思うし。誰かの仕事を手伝うとか、小さく始めてみたらいいんじゃないでしょうか。
会社はあなたの人生を守ってくれませんから。最後は自分で自分を守るしかないと思います。
上司の立場から見て、一緒に働きたい40代とはどんな人ですか?
40〜50代になれば仕事のやり方や性格は変わらないので、新入社員のように手取り足取り指導はしません。自分のやり方でもいいから、まるっと任せられると嬉しいです。
小さい部署で人手が足りなかったり、各自の仕事内容がバラバラな場合は、受け身な人が来ると上司の立場的にはちょっと困ってしまうので、自律的に動ける人がいいですね。
人員に余裕があったり全員が同じ仕事をしていてカバーし合える環境なら、そうでなくてもいいかもしれないから、会社や配属部署の規模は自分に合うところを選ぶといいのではないでしょうか。
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